試みに小説を執筆します。
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ハイパーテクスト倫理学
2007-04-01 Sun 10:20
 ハイパーテクスト倫理学という何とも仰々しいネーミングをつけてしまったが、これは論文を書いているときについた癖のようなものだから、あまり気にしないでほしい。
 今回私が執筆しようと思っているのは、HP運営の際の掲示板やコメント等のネット空間内コミュニケーションにまつわるエッセイ(随想)である。
 何故ネット空間内コミュニケーションにまつわるエッセイを執筆しようと思い至ったかというと、答えは簡単で現在実際私がそこでの応対にかなり悪戦苦闘しているからである。
 そのような辛い現実を冷静に把握・分析し、解決の糸口を発見しよう、更にはネット空間、つまりはハイパーテクスト空間におけるコミュニケーションの在り方、つまりは倫理をも提言しようとの試みが今回の分析なのである。しまった、また仰々しくなってしまった。
 
ネット空間の光と闇 
 さて、まずネット空間の倫理学を話す前提として、ネット空間のプラス面とマイナス面を明らかにしなければならない。私自身の体験談を1つの例としてまず御話しよう。
 私のネットデビューは実はかなり遅く、2003〜4年、大学院に入ってからだった。といっても、使用するのはせいぜい友人とのメール程度、それ以外はネット検索等で図書館の蔵書を調べるくらいだった。
 それが、急激に変化したのは2006年3月である。仔細を書くときりがないので一言で言うが、研究者として続けるのが凡そ不可能になってしまったのである。
 それが何を意味していたかというと、私が院生の2年間精魂の全てをかけて執筆した論文が闇に埋もれるという点を意味する。私の研究していた分野は通例としては博士課程に入った後であり、修士課程までの論文は一般に公開されない。研究者を目指す人間は博士課程に入った後に修士論文を纏めて学会にて報告するのが通例となる。
 そして、現実としてそれ以外に自分の論文を公表する手段は現実的に無かった。
 きっと私はネットが発達していなければとっくに人生に悲観して自殺していたに違いない。
 だが、幸いネットが発達していたため、私は死なずに済んだ。言い方を変えれば、ネットが発達していなければ、私はもうちょっと大学機構に従順に接し、進学していたやもしれぬ(笑)。
 まあ、それは置いておこう。
 何はともあれ、大学機構から
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詩作
2007-03-28 Wed 18:12
魂の声を聴け

魂の声を聴け。君に語りかけるその口調、その体躯の逞しさ、
容姿の端麗さに惑わされるな。
狼が羊の皮を被り、羊が狼の真似事をするのが世の習い。
惑いのときは、そう、魂の声を聴け。
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現実がゲシュタルト崩壊する―統合失調症
2007-03-08 Thu 12:04
 まず言っておく。私は精神医学が嫌いである。というよりも、危険な存在であり、精神医学の論理こそが統合失調症の症状に当て嵌まっていると確信している人間である。
 現在の精神医学あるいは病院は、単に公式に麻薬を処方する場所としてのみ機能していると断言できる。
 まあ、それは置いておこう。
 だが、それを生業にして、あるいはそれに熱意を(優越感とほぼ同じ概念である)持って働いている人々もいるだろうから、それに一定の理解を示した論評を執筆する。
 皆さんはゲシュタルト崩壊を御存知だろうか?一つの文字をずっと読んでいるうちに、その文字が概念として、文字として移らなくなってしまう。つまりは認識崩壊を起こしてしまうと言う現象である。
 これを、統合失調症に当て嵌めるのが説明としては簡単であろう。
 私たちは子供の時分、毎朝7時に起きて、朝食を食べ、学校に行き、授業を行い、昼給食を食べ、午後部活なり何なりを行い、家に帰って宿題なりテレビゲームなりをして、一日が過ぎる。
 それが当たり前のように暮らしていた。今もまあ、ほとんどの家庭ではそうだろう。
 だが、それは実は当たり前ではなく、人為的に作られている事象なのである。
 一般に社会人となるとき、そういう当たり前だと思っていた事象が実はとてつもない労力を伴う作業と気付く。
 1日に3食食べるということも、それは当たり前ではない。学校に行く必要もない。
 餓死してもいいのなら、働く必要もない。
 「みんな仲良くしようね」などと言う人間はどこにもいない。
 温室から抜け出した人間たちに待っているのは人の波間の砂漠である。
 そんな中で自分を選び勝ち取っていくのがいわゆる青年課題、つまり大人の階段を上るという成長段階なのだろうが、何らかのとてつもないアクシデントや対応できない障壁に人間がぶつかった場合、時として現実社会に全く対応ができなくなってしまう。つまり、題名にも述べたような現実社会がゲシュタルト崩壊するような感覚に襲われる。
 それが引きこもり等の現代病理だが、さらにそこにプレッシャーなどが加わると、思考を統治する人間の器官である脳が故障してしまう。滅茶苦茶なプログラミングをしたパソコンが動かなくなってしまうような感じだろう。心の病ってのはそんな感じなのかな。
 そんな場合には専門家の手助けや薬の効果が必要となる場合もある。だが、医者は病名というレッテルと挫折感、疎外感、差別感もプレゼントしてくれる。
 そして、何よりもそれは一時的な解決法であり、実際の解決法は直接ストレスとなっている事象をきちんと解決するという一点。
 
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ルーツを探る
2006-09-27 Wed 18:49
 僕の生まれは留萌だった。日本の最果て北海道の中でも更に北の端。周りのみんながそうだったから俺もそれが普通なんだと思っていたが、後に(大学に入った時分から)結構自分が田舎に住んでるって意識したのだった。
 んで、僕の母方の祖父母は留萌に居て、菅原という苗字だったんだが(これについては、そのうちルーツを探るとしよう)、父方の苗字が桃井という苗字で本家が初山別だった。
 この初山別という村がとてものどかな村で、私が未だにもっとも好きな場所のひとつだ。桃井家の本家はそこで漁業を営んでいた。
 俺の父親は末っ子だったから、家督を継がずに札幌に出て、私の母親と結婚したのだった。
 そこで、私が何故、ルーツ探しをしたかというと、私はずっと自分の苗字が嫌いだった。
 小学校の給食で桃が出ると、「共食いだ、共食いだ」とからかわれた。
 中学校のときは「ももちょう」なる徒名を頂戴したものだった。
 ピンクという色は思春期の少年には癪にさわる色だったらしく、ピンクという色となんだか男らしくない果物を連想させる苗字が嫌でたまらなかった。私は後になって独学で色彩心理学を勉強したが、ピンクという色は、主に女性性を指し示す色の為(女性専用を表す場合多くにピンク色が採用されている。例えばトイレとか、布団とか)、
 だが、それはそれとして、初山別は最高だった。といっても、私が初山別に行ったのは盆時期のお墓参りくらいだったが、そのお墓参りの際には親戚一同皆が集まっていて、始終飲んだくれていた。
 本家の隆おじちゃん(もう、亡くなってしまわれたが)が釣った魚を飲みながら、一日中飲んだくれていて、それがお酒を飲ませてもらえない子供ながら、なんとなく嬉しかった。
 今考えると、冬は大変な土地だったろうなあと思う。
 それはそれとして、中学校の日本史の勉強なんかでさまざまな氏族の歴史を学ぶ中で桃井という姓について興味がわいていた。
 一度、従兄弟にあたるおじちゃんが、「桃井は足利氏なんだぞ。」と言っていたが、だったら何で漁業やってんだという気持ちにもなった。
 実際、何故か家に置いてあったブリタニカ国際百科事典にはそういう話が書いていた。
 それが中学校から高校ぐらいの話だな。
 ただ、少しずつ自分のルーツを知りたくなっていったのは確かな話だ。
 その後、高校生活、大学生活が始まり、高校では、転校生だったので、そちらの生活に慣れるために必死でそのための余裕が無く、大学は大学で、受験勉強の反動で放蕩生活続きだったので、そういう方面には無頓着だった。
 私が再び家系調査を行うのはつい最近だった。
 それは、私が今年博士浪人を行いつつ、バイトをしている最中だった。博士浪人という、社会的に微妙な立場なので、企業の正社員につくのが難しく、バイト生活だった。
 その最中、バイトで、商船の船員という仕事が見つかった。
 そこで配属されたのが、小樽〜新潟間の船の仕事で、これはついでに家系調査が行えると思い、親戚筋に電話し、調査した。
 そうやって得たのが、桃井富範系図だ。
 ちなみに、私が最も危惧していたのは、私の氏が佐渡に流刑になっていたという事実が発覚するやもしれぬという点。
 それでも、何も知らないで人生を過ごすよりは、恐ろしい事実でもちゃんと知って、それから自分のこれからの糧にするほうが+と考えた。
 そして、ネットで家計調査についての方法を調べたら、やはりまずは自分で家系を調査したのちに、実際に自分の菩提寺や先祖の土地の博物館調査・過去帳を調べる等の作業を行うと記述していた。
 そこで、佐渡市役所に連絡を取り、その旨を連絡し、聞いてみた。
 すると、桃井と名のつく苗字が佐渡には約30件存在するという話を教えていただいた。
 そして、その9割方が小木という地名に住んでいるという事実を教えていただいたのだった。
そして、それから仕事にて、船の整備のため新潟に一泊停泊するという機会があり、その際に遂に佐渡行きを敢行した。
 実を言うと、私の北海道の親類一同で佐渡帰りを果たしたという人の話を俺は一切聞いていなかった。つまりは、俺が最初である。桃井家の金字塔である。
 新潟―小樽間のフェリー乗り場を早朝出発し、タクシー約10分で新潟―両津間のフェリー乗り場に到着。その後、高速フェリーにて佐渡に出発。40分程度で到着した。
 昔は何日もかかり、遭難もしていたという船道。文明の進歩を実感。
 島に到着後、まずはレンタカーを借りて…と受付窓口に行くが、運転免許書が…ないっ!家に忘れた!!これはしまったと残念がり、バスにて目的地小木に出発を決意する。ちなみに、身分証明書があれば、簡易運転免許書を一時的に再発行するというぐらいの柔軟性のある法整備を整えてほしいと提言する。
 まあ、それはそれとして、これもいい機会よと、ビールを飲み、心地よい酩酊を獲得し、バスにて出発した。 
 中途一回のバスを換え、約1時間半にて小木に到着。佐渡おけさがすぐそばにて行われ、無数のたらいが海を漂う。
 余り興味は無い。
 早速学芸員のI氏に連絡を行い、図書館にて説明を受ける。
 実は、ひょっとするとすぐ自分の親戚や本家が判明するのではと期待して御土産を用意したのだが、説明を聞く限りでは難しいようだ。
 その後図書館にて3時間ぐらい郷土史を読み漁る。
 佐渡は廻船の停泊地として中世から栄えていた。実は中性に既に日本全土の廻船ルートが確立していたらしい。当然初山別にもルートは存在していた。
 そして、桃井という一族も廻船やそれに付随する職業を生業としていたらしい。問屋を営んでいたとの御話。
 ちなみに江戸時代末期から明治時代にかけて問屋制度が崩れたという。たぶん、私の祖先が初山別に来たのはそのとき。
 さらに判明したのが、本州からやはり佐渡に渡ったという点。
 私の脳裏に、東太秦の桃井郷が霞む。やはりあそこらへんかなと確信がもてた。
 その後御土産を全部学芸員のI氏に送り、日帰りにて佐渡を後にした。
 その後フェリーにて船員の方に佐渡金山の話を聞く。佐渡金山は江戸時代の流刑地だったそうだが、そこの労働は過酷を極め、労働者は皆1〜2週間で間違いなく亡くなるため、刑期が終焉するという制度そのものが存在しなかったという。今生きているなら罪人の子孫じゃないから心配しなくてもいいよとの御話。ほっとしたが、空恐ろしかった。
 シャラーモフの世界。
 その後北海道に戻り群馬県図書館から桃井家に関する資料を取り寄せる。
 と、暫くしているうちに鴨が葱をしょって来た。桃井氏に関する詳細な記述が。
 ルーツは東太秦にあり。いざ参らん!!!
                            (続く)
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執筆に際して
2006-07-15 Sat 22:51
 新たに始めた「桃源郷秘伝」については、もう自由に筆を執るスペースとして使用する。
 何を話したらいいのだろうか。私が生きている以上、沢山の人々と出会い、出会い、そして別れる。
 愛し合えば憎しみ愛もするだろう。むしろ愛を知ることにより、より憎しみを知る。
 まあ、物語は紡がれる。尚且つ私は必要以上に想像力豊かなので、記憶の中で脚色や美化・忘却などが存在する。
 さしあたって何を記述しようか迷いはするが、まあ、本家の存在する初山別と死んだ母方の祖父についてでも述べるとしよう。
 そのうち、自伝らしきものも記述する。
 まずは記憶を記述して、整理する必要が存在する。
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